『筑波批評』全目次
『筑波批評2013春』
座談会 記号から美学へ――グッドマン『芸術の諸言語』をめぐって
『芸術の諸言語』要約・用語集
シノハラユウキ「天海春香は遊具となりて揺動す――『百円M@ster』論」
にわかラブライバー対談―音楽・キャラクター・声優― (島袋八起+シノハラユウキ)
島袋八起「ダンスについて――TVアニメ『ラブライブ!』OP「僕らは今のなかで」論」
塚田憲史「丘の向こうの不確かな楽園――『まおゆう魔王勇者』論」
シノハラユウキ「ブックレビュー亜人(ヒューマノイド)SFの現在」
『筑波批評2011秋』
伊藤海彦「メタボリズムのシミュレーション――今井哲也『ぼくらのよあけ』と阿佐ヶ谷住宅」
「空想都市の歩き方――地理人インタビュー」
シノハラユウキ「リアリティの諸相、あるいはシミュレーションの美――インタビューに寄せて」
対談 言語藝人・白石昇×島袋八起
島袋八起「西洋音楽とJ−POPの歌詞――「もってけ!セーラーふく」論 準備編」
山本勉「『ゴーストの条件』とゼロアカ道場のこと」
塚田憲史「僕は思い上がらない」
『筑波批評2011春』
塚田憲史「実在性のきらめき」
島袋八起「エリオをかまってちゃんでみるアニソンとJ-POP――「Os−宇宙人」論」
伊藤海彦「現代日本の隙間――コンビニの歴史と日本の消費空間」
シノハラユウキ「キャラクターは呟きて何を生すか――フィクション論から見るtwitter」
『筑波批評2010冬』
緊急座談会 これからの「フィクション」の話をしよう(高橋志行、佐藤翔、伊藤海彦、シノハラユウキ)
シノハラユウキ「科学と文学のあいだを行き来すること――書評『進化思考の世界』『認知物語論キーワード』『華竜の宮』」
山本勉「100%勇気――書評『万物理論』」
栗森勇太「白くまを救うとき――多和田葉子『雪の練習生』」
高橋志行「跳躍するヒロイズム――ゲームデザインにおける個人の表現」(再録)
伊藤海彦「ウェブは死なない――オープンなウェブと生成力」
『筑波批評2009冬』
シノハラユウキ「想像の涯ての眩暈」
シノハラユウキ「世界の中心で亜人」
珠洲 環「ハイエク『市場・知識・自由』を読む(1)」
塚田憲史「ハイエク『市場・知識・自由』を読む(2)」
伊藤海彦「二〇一〇年代にWebサービスはあるのか?」
藤田直哉「新たなる神の顕現?――2ちゃんねるにおける<神>概念について」
『筑波批評2009夏』
特集・ゲームの思考
塚田憲史「最強論」
山本 勉「マルチプレイヤーゲームのハードコア――格闘ゲーム・最適戦略・モダニズム」
山本 勉「ドミニオン、拡大生産型カードゲームの夜明けをことほぐ」
高橋志行「跳躍するヒロイズム――ゲームデザインにおける個人の表現」
シノハラユウキ「人格の単位としてのパラメータ」
笹深 厘「ふたつの「ひとり」が共存しうる世界」
珠洲 環「犯罪の快楽を肯定する物語たち」
伊藤海彦「twitterは組織内情報共有の夢を見るか」
『筑波批評2009春……?』
塚田憲史「筑波批評社のゆくすえに思いを馳せる〜原稿落としてごめんなさいエッセイ〜」
特集・ゲーム【予告編】
山本勉「じゃんけんを限定するデザイン――格闘ゲーム、あやつり人形、賭博黙示録カイジ、じゃんけんぽいぽい」
珠洲 環「サルでもわかる「ドミニオン教室」〜基本編〜 &王国カード二十六種類全レビュー」
シノハラユウキ「敗北後の神話――『GALACTICA』」
シノハラユウキ「百家争鳴の「意識」研究者たち――『「意識」を語る』」
シノハラユウキ「ヴィジョンとスタイル、表象と現実」
sakstyle 塚田憲史 ほか「自己啓発トークラジオSURViVEとは一体何だったのか」
『筑波批評2008秋』
「批判的工学主義とは何か――建築家・藤村龍至インタビュー」
渡邉大輔「アダルトヴィデオ的想像力をめぐる覚書――ゼロ年代的映画史講義・体験版」
工藤郁子「リアル入門――ネットと現実の臨界」
高橋志行「文芸批評家のためのLudology入門――<ゲーム>定義のパースペクティブ」
シノハラユウキ「工学の哲学序説」
min2fly(佐藤翔)「「コンテンツ植民地」日本」
「ケータイ小説の作り方――ケータイ小説家・秋梨インタビュー」
シノハラユウキ「フィクションするとは一体いかなる行為か」
シノハラユウキ「兄弟という水平面/擬似的な垂直性」
塚田憲史「フラグメンタルアプローチ」
塚田憲史「&LOVE――『あたし彼女』『メルト』」
「Synodos+筑波批評社」
座談会 ニコニコ世代に歴史はあるか?
『筑波批評2008春』
特集/座談会 「偶然性・アイロニー・連帯」を読む
伊藤海彦 「アイロニカルな共同体――その成立条件」
シノハラユウキ 「公共性の言語のために」
塚田憲史 「社会システム・テレビゲーム・NPC〜広義の動物としてのマッチョ、ウィンプ、決断主義者と公共性〜」
山本勉 「届かない手紙は青い車にのせて」
栗森勇太 「友達に会いにサウスパークへ行こう」
松崎萌 「清涼院を見直そう(読み直そう)」
シノハラユウキ 「神州国はどこにある」
『筑波批評2007秋』
特集「情報化と文学」
座談会 ケータイ小説は文学の夢を見るか(栗森勇太・シノハラユウキ・珠洲環・塚田憲史)
伊藤海彦 「「ウェブで表現すること」とは――2.0時代における現状と可能性」
min2-fly 「電子図書館と「館」の希薄化――物理的な、あるいは電子的な」
シノハラユウキ 「情報化しつくされた残余――伊藤計劃『虐殺器官』」
栗森勇太 「倒壊したサイバースペース――W・ギブスン『パターン・レコグニション』」
塚田憲史 「断章を駆け抜けて――舞城王太郎『SPEEDBOY!』」
珠洲環 「朝日新聞社を燃やせ――東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』」
山本勉 「中国行きのフューチャリストをめぐる冒険――古川日出男『二〇〇二年のスロウボート』」
11/4文学フリマ参加
筑波批評は、2階Fホール、エ-34に出ています。
「第十七回文学フリマ」 開催概要
開催日 2013年11月 4日(月祝)
開催時間 11:00〜17:00
会場 東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
一般来場 一般の方は入場無料です!
今回は、既刊2013春号を持っていきます。
なので、情報を再掲しておきます。
筑波批評2013春
目次
グッドマン『芸術の諸言語』を読む
- 座談会 記号から美学へ――グッドマン『芸術の諸言語』をめぐって
- 『芸術の諸言語』要約
- 用語集
天海春香は遊具となりて揺動す――『百円M@ster』論 シノハラユウキ
にわかラブライバー対談―音楽・キャラクター・声優― 島袋八起+シノハラユウキ
ダンスについて――TVアニメ『ラブライブ!』OP「僕らは今のなかで」論 島袋八起
丘の向こうの不確かな楽園――『まおゆう魔王勇者』論 塚田憲史
ブックレビュー亜人(ヒューマノイド)SFの現在
グッドマン『芸術の諸言語』を読む
去年の夏頃から、ネルソン・グッドマン『Languages of Art』(未訳・以下『芸術の諸言語』)の読書会を行ってきまして、その集大成としての座談会です。
ネルソン・グッドマン(1906−1998)は、グルーのパラドックスなどで知られるアメリカの哲学者で、言語哲学、科学哲学、論理学、そして美学において仕事をなしています。彼は、学位を取る前に画廊を経営していたり、妻が画家だったりして、プライベートにおいても芸術との関わりが深く、この本もそのタイトルのとおり、芸術を論じたものです。
この本は、絵画や音楽もまた、言語と同様の枠組みにおいて分析することができるという彼の立場から、絵画や音楽をも含めた記号理論を立ち上げようとしているものです。
グッドマンの美学というのは、今現在においてあまり注目されているものではなくなっていますが、いわばアメリカ美学の古典といえます。
座談会参加メンバーは、
松永さん(9bit: ゲーム研究と美学)、高橋さん、真塚さん@truetombと、筑波批評社の島袋、シノハラの5名
松永さんは、ゲーム研究や美学を専門とされていて、再現芸術についてグッドマンの美学に着目されている方で、我々美学初心者に対して色々教えていただきましたが、それ以上に、マンガやゲームや萌え記号についての話なんかがなかなか面白いことになっているのではないかと思います。
島袋 やっぱり、タイトルに惹かれますよね。
高橋 俺にとってグッドマン避けがたくなってきた
真塚 一番不思議なのは、何故それがユニコーン的絵といえるのか
シノハラ マンガには複数のシステムが走っていると思う
松永 統語論レベルで分節されたもので萌えとか言ってる人は分かってない
まだ邦訳されていない本なので、内容について知らない人も多いと思うので、要約も載せておきました。
かなり詳細なレジュメになっているので、これを読めばグッドマン美学がかなり分かってしまうのではないか、というものになっています。
また、あわせて簡単な用語集もつけてあります。
天海春香は遊具となりて揺動す――「百円M@ster」論 シノハラユウキ
ここで考えてみたい問題は、ある種の映像表現から得られる抽象的な興奮のことだ。
今回、ニコニコ超会議内で文学フリマが開催されるということで、今まではしてこなかったのですが、初めてアイマスを題材にした評論を書きました。
が、実はアイマス論ではなくて、ある種のMAD動画について論じるものになってます。もちろん、それがニコマスであることは重要なポイントではあるんですが。
グッドマン『芸術の諸言語』と渡邉大輔『イメージの進行形』を理論的枠組みとして使いつつ、最近、永野ひかりが提案していた「声のキメラ」という概念をもう少し抽象的に捉えることで、オタク文化(アニメ声優、ダンスの3DCG動画)とクラブ文化(サンプリング、VJ)の混淆の魅力を考えてみる、というような内容になってます。
それから、今回論じる対象となっている百円M@sterというのはややマイナーかと思うので、以下のマイリストで、これは、というものを紹介しておきます。
にわかラブライバー対談―音楽・キャラクター・声優―
島袋八起とシノハラユウキによる、タイトル通りの対談
二人とも、アニメを機にラブライブ!にはまった、にわかラブライバーなのですが、どうして好きになったのか、どこが好きなのかということを徹底的に話していますw
島袋、シノハラの二人は、音楽批評『フミカ』という同人誌も作っていて(今回、筑波批評の隣です!)、なので、ラブライブ!の音楽については結構ぐいぐいと話せたのではないかなーと思っております。
ダンスについて――TVアニメ『ラブライブ!』OP「僕らは今の中で」論 島袋八起
ダンスはキャラクターの身体を用いたひとつの表現形式であり、彫刻的でもあり、音楽的でもあり、
絵画的でもあり、なにより「ダンス的」としかいいようがないものを形式として持っている。
島袋八起による、「僕らは今の中で」ダンスの徹底したスケッチ
アニメのOPとして流れていたダンス映像について、どのような要素や構造があったのかを執拗に描写していくことによって、ダンス論を切り開いていこうとしています。
僕たちがダンスを見るときに、これだけ豊かな表情を向けられているということに、改めて気付かされるはずです。
丘の向こうの不確かな楽園――『まおゆう魔王勇者』論 塚田憲史
もし『まおゆう』を面白いと言いたいのであれば、この『まおゆう』のラストシーンからいくばくかの恐ろしさを読み取らなくてはいけない。
2ちゃん発のWEB小説として、アニメ化まで果たした人気作品『まおゆう』に対して、塚田憲史が、経済学における「リスク/不確実性」概念と、ディストピア小説論の見地から論じています。
『まおゆう』において、魔王がもたらした知識は、その物語世界を近代化させていくわけですが、そこで近代化として提示されている発明が、リスクヘッジに関わるものばかりであることに注目します。そのようなリスクヘッジによる近代化の先にあるのは、僕たちがいる「現代」に他なりません。
しかし一方でこの「現代」とは、金融危機や原発事故といった「想定外の事態」がある世界でもあります。
中世の社会が近代化して現代にいたる『まおゆう』をディストピア小説として読み解きながら、「想定外の事態」に怯える我々が「丘の向こう」でどのような社会を作れるのか展望しています。
宣伝ust
http://www.ustream.tv/recorded/31710049
2013春号の話から始まって、ラブライブ!の話など多岐な話題についてわいわい話してますw
超文フリにて新刊『筑波批評2013春』!
ご無沙汰しておりました。1年半ぶりの新刊です。
4/28(日)開催の超文学フリマにて、『筑波批評2013春』刊行です!
筑波批評2013春
目次
グッドマン『芸術の諸言語』を読む
- 座談会 記号から美学へ――グッドマン『芸術の諸言語』をめぐって
- 『芸術の諸言語』要約
- 用語集
天海春香は遊具となりて揺動す――『百円M@ster』論 シノハラユウキ
にわかラブライバー対談―音楽・キャラクター・声優― 島袋八起+シノハラユウキ
ダンスについて――TVアニメ『ラブライブ!』OP「僕らは今のなかで」論 島袋八起
丘の向こうの不確かな楽園――『まおゆう魔王勇者』論 塚田憲史
ブックレビュー亜人(ヒューマノイド)SFの現在
グッドマン『芸術の諸言語』を読む
去年の夏頃から、ネルソン・グッドマン『Languages of Art』(未訳・以下『芸術の諸言語』)の読書会を行ってきまして、その集大成としての座談会です。
ネルソン・グッドマン(1906−1998)は、グルーのパラドックスなどで知られるアメリカの哲学者で、言語哲学、科学哲学、論理学、そして美学において仕事をなしています。彼は、学位を取る前に画廊を経営していたり、妻が画家だったりして、プライベートにおいても芸術との関わりが深く、この本もそのタイトルのとおり、芸術を論じたものです。
この本は、絵画や音楽もまた、言語と同様の枠組みにおいて分析することができるという彼の立場から、絵画や音楽をも含めた記号理論を立ち上げようとしているものです。
グッドマンの美学というのは、今現在においてあまり注目されているものではなくなっていますが、いわばアメリカ美学の古典といえます。
座談会参加メンバーは、
松永さん(9bit: ゲーム研究と美学)、高橋さん、真塚さん@truetombと、筑波批評社の島袋、シノハラの5名
松永さんは、ゲーム研究や美学を専門とされていて、再現芸術についてグッドマンの美学に着目されている方で、我々美学初心者に対して色々教えていただきましたが、それ以上に、マンガやゲームや萌え記号についての話なんかがなかなか面白いことになっているのではないかと思います。
島袋 やっぱり、タイトルに惹かれますよね。
高橋 俺にとってグッドマン避けがたくなってきた
真塚 一番不思議なのは、何故それがユニコーン的絵といえるのか
シノハラ マンガには複数のシステムが走っていると思う
松永 統語論レベルで分節されたもので萌えとか言ってる人は分かってない
まだ邦訳されていない本なので、内容について知らない人も多いと思うので、要約も載せておきました。
かなり詳細なレジュメになっているので、これを読めばグッドマン美学がかなり分かってしまうのではないか、というものになっています。
また、あわせて簡単な用語集もつけてあります。
天海春香は遊具となりて揺動す――「百円M@ster」論 シノハラユウキ
ここで考えてみたい問題は、ある種の映像表現から得られる抽象的な興奮のことだ。
今回、ニコニコ超会議内で文学フリマが開催されるということで、今まではしてこなかったのですが、初めてアイマスを題材にした評論を書きました。
が、実はアイマス論ではなくて、ある種のMAD動画について論じるものになってます。もちろん、それがニコマスであることは重要なポイントではあるんですが。
グッドマン『芸術の諸言語』と渡邉大輔『イメージの進行形』を理論的枠組みとして使いつつ、最近、永野ひかりが提案していた「声のキメラ」という概念をもう少し抽象的に捉えることで、オタク文化(アニメ声優、ダンスの3DCG動画)とクラブ文化(サンプリング、VJ)の混淆の魅力を考えてみる、というような内容になってます。
それから、今回論じる対象となっている百円M@sterというのはややマイナーかと思うので、以下のマイリストで、これは、というものを紹介しておきます。
にわかラブライバー対談―音楽・キャラクター・声優―
島袋八起とシノハラユウキによる、タイトル通りの対談
二人とも、アニメを機にラブライブ!にはまった、にわかラブライバーなのですが、どうして好きになったのか、どこが好きなのかということを徹底的に話していますw
島袋、シノハラの二人は、音楽批評『フミカ』という同人誌も作っていて(今回、筑波批評の隣です!)、なので、ラブライブ!の音楽については結構ぐいぐいと話せたのではないかなーと思っております。
ダンスについて――TVアニメ『ラブライブ!』OP「僕らは今の中で」論 島袋八起
ダンスはキャラクターの身体を用いたひとつの表現形式であり、彫刻的でもあり、音楽的でもあり、
絵画的でもあり、なにより「ダンス的」としかいいようがないものを形式として持っている。
島袋八起による、「僕らは今の中で」ダンスの徹底したスケッチ
アニメのOPとして流れていたダンス映像について、どのような要素や構造があったのかを執拗に描写していくことによって、ダンス論を切り開いていこうとしています。
僕たちがダンスを見るときに、これだけ豊かな表情を向けられているということに、改めて気付かされるはずです。
丘の向こうの不確かな楽園――『まおゆう魔王勇者』論 塚田憲史
もし『まおゆう』を面白いと言いたいのであれば、この『まおゆう』のラストシーンからいくばくかの恐ろしさを読み取らなくてはいけない。
2ちゃん発のWEB小説として、アニメ化まで果たした人気作品『まおゆう』に対して、塚田憲史が、経済学における「リスク/不確実性」概念と、ディストピア小説論の見地から論じています。
『まおゆう』において、魔王がもたらした知識は、その物語世界を近代化させていくわけですが、そこで近代化として提示されている発明が、リスクヘッジに関わるものばかりであることに注目します。そのようなリスクヘッジによる近代化の先にあるのは、僕たちがいる「現代」に他なりません。
しかし一方でこの「現代」とは、金融危機や原発事故といった「想定外の事態」がある世界でもあります。
中世の社会が近代化して現代にいたる『まおゆう』をディストピア小説として読み解きながら、「想定外の事態」に怯える我々が「丘の向こう」でどのような社会を作れるのか展望しています。
『筑波批評2011秋号』通販のお知らせ
『筑波批評2011秋号』通販のお知らせです。
今回はPaypalのボタンを使います。安全ですね!!
内容をすでにご存じで、欲しい!と言う方は以下のボタンから購入をお願いいたします。
Paypalのアカウントを持っていなくてもOKですが、クレジットカードは必要です。
お値段は送料込みで650円となります。送料込みですよ!
お支払いいただいた後、筑波批評のメンバーが頑張ってお宅までお届けします。
(実際にお届けするのは宅配業者です)
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筑波批評ってなんだっけ、今号何書いてたっけ、と言う方は以下から概要をどうぞ。
ぜひよろしくお願いいたします。
『筑波批評2011秋号』紹介
伊藤海彦「メタボリズムのシミュレーション――今井哲也『ぼくらのよあけ』と阿佐ヶ谷住宅」
奇跡の団地と称された阿佐ヶ谷住宅、そこを舞台に少年たちと宇宙船に搭載されたAIとのファーストコンタクトを描いたSFマンガ『ぼくらのよあけ』
何故この作品は阿佐ヶ谷住宅を舞台としたのか。
そしてまた、阿佐ヶ谷住宅はこの作品に描かれることでどのような可能性を示すのか。
1960年に提唱されたメタボリズム建築の、もしかしたら別様にもありえたかもしれない可能性をマンガの中に見出そうとする伊藤の論考です。
伊藤が筑波批評に掲載するものとしては、初めての作品論であり、また初めての巻頭でもあり、今までとは異なる、あるいは今までの論文とも通底する彼の文章をご期待ください。
「空想都市の歩き方――地理人インタビュー」
空想都市へ行こう! – 地理人がいざなう、空想地図の世界へようこそ。において、自らの作った空想の街「中村市」の地図を公開している地理人さんに、その創作の過程などを聞いてきました。
一方では、地図製作ということにとどまらない、創作全般にも繋がるような話でありながらも、またその一方では、1万分の1スケールの地図という(フィクションの創作としては)独特なジャンルによるこだわりを存分に感じさせる言葉は、地図に全く興味がない人にこそ読んでもらいたい。
フィクションの表現方法の1つとしての地図、というのは、文学フリマにおいて小説を書いているような皆さんにとっても興味をもってもらえる題材じゃないかと思っています。
シノハラユウキ「リアリティの諸相、あるいはシミュレーションの美――インタビューに寄せて」
サブタイトルにあるとおり、インタビューをしてきたシノハラによる感想文のようなもの。
地理人さんによる中村市の地図は、あまりにも「リアル」だけれども、その「リアル」とは一体何についての評価語なのか
という、まあいつもやっているような話の地図版なんですが、個人的には新たな着想のきっかけになったのではないかと思ってます。
対談 言語藝人・白石昇×島袋八起
タイ在住の白石昇さんと島袋八起の対談、というか、島袋八起によるのぼるちゃんインタビューという感じ。
のぼるちゃんは何故タイに行ったのかという話から始まって、タイ語と日本語の歌詞についての話などタイと歌にまつわる対談。
島袋八起「西洋音楽とJ−POPの歌詞――「もってけ!セーラーふく」論 準備編」
八起流歌詞論第2段!
西洋クラシック音楽の作曲学における楽理を、歌詞の分析へと応用する試み。
今回は、ラルクの歌詞と「もってけ!セーラーふく」の歌詞を比較しながら、歌詞の構成や形式をどのように分析していくのかという手法を丁寧に展開していく準備編。
ここで目指されるのは、「もってけ!セーラーふく」のような一見して意味をとることの難しい歌詞が、しかし決して無意味ではなく意味を持っているということを証していくこと。そこで、キャラクター的な読解を越えて、歌詞そのものの論理からの読解が試みられる。
リンク
空想都市の歩き方――地理人インタビュー
対談 言語藝人・白石昇×島袋八起
p.47
http://blog.livedoor.jp/fuku_bangkok/archives/51709618.html