東大批評さんと座談会を行いました。

東京大学の批評系サークル東大批評さんと座談会をしました。
今度の第八回文学フリマで頒布される『東大批評』に収録されるその様子の一部を公開します。

東大批評さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/utcritique/

第八回文学フリマ
http://bunfree.net/#l6

第八回文学フリマは5月10日大田区産業プラザPiO
東大批評さんのブースはF-24です

これは三月に収録したものなんだけど(丁度ゼロアカ道場の第五次関門が開催された日の午前中)、批評界隈は状況が凄いスピードで変化していっているから、今見ると勘違いしていたなあとか、失礼なこと喋ってるなあと反省するところもある。それは僕の考えるような普通に見てれば分かるような問題点については分かっている人は既に分かっているし、当然解決に向けて動き出しているということだ。これは本当に注意しておきたい。

ここに載せてる序盤はゼロアカの話題に終始してるけど、僕はそれには多少問題があると思っている。ちょっと関わっただけなのに分かったような口きいていて自分で嫌だなあと思うのだけど、まあ訊かれたら口は滑るというかな。ファンとして、これからどういう展開が起こるのかということを楽しみにしている部分と、現象として面白いと感じている部分をこれからはちゃんとわけて発言したり物を書いたりしたいなと思う。この段階だとまだまだ野次馬的な発言が多くて自分でげんなり。関係者のみなさま、すいません。後半はちゃんと自分たちのことというか筑波のことについて喋ってます。

『東大批評』のコンテンツについては、ブログの宣伝を見てみると、いろいろと面白い記事もありそうだから是非文学フリマに行って手にとって欲しい。
(塚田)

■東大批評×筑波批評社座談会(試し読み)■

井伏 えー、本日は「名前パクってごめんなさい土下座行脚」ということで、東大批評の前田、渡辺と私井伏が、筑波批評社におじゃましています。私どもが東大批評を設立したとき、やはり念頭にあったのは、すでに同人誌を出し、また「ゼロアカ」にも参加していた筑波批評社の姿でした。本日はその大先輩とお会いすることで、大学生・批評家・同人サークルとして今後、東大批評がどのように舵を取っていけばよいか、有益なお話をお聞かせ願えればと思います。筑波批評社からは、シノハラさん、塚田さん、珠洲さんのお三方にご出席いただいております。それではみなさん、本日はよろしくお願いします。

前田 ちなみに、これは筑波批評社さんのサイトにおける試し読み版、ということで、座談会の冒頭部を収録しています。興味を持たれた方は、5月10日の文学フリマ当日、F-24の東大批評ブースまでぜひお越し下さい。

井 まずは、ゼロアカ道場参加お疲れ様。ゼロアカはどうだった?

塚田 なんか、ゼロアカ道場のやつらは飲み会ばっかりやってる印象があった。だからあいつら単純に飲み会やりたいだけじゃないのかって。

シノハラ いや、ゼロアカ道場の人以外にゼロアカウォッチャーってのがいて、東さんの講義は聴かずに、その後の飲み会だけ行くとか、そういう人が結構いるんだよ。だからあの辺を見ると、飲み会ばっかりって印象持つんじゃない。

塚 まあでも、そのウォッチャーも含めて、サークル的なノリがあるよね。単純にそれだけじゃないだろうけど東さんも、若い人といちゃいちゃしたいところもあるだろうし。ただ、東さんはコミュニケーションに対する悲観が先にあって、言葉が通じないのはもうしょうがないからガソリンを入れるために飲み会をやるしかないということは明言している。一貫性もあるし、ある程度納得できるのだけど、巻き込まれている批評家の卵たちはそれでいいのって思うところはあるよね。

渡辺 まずいよね、批評家がそんなんじゃ。

珠洲 でもまあ、そういう飲み会でエネルギーためたり、共同性作ったりするのが重要なんだ、っていう意見はあるよね。

井 「批評」の二文字で集まれる人がこんなにいるんだ、っていう実感は、たしかに勇気につながるかもしれない。

塚 でも共同性っていってもさあ、あそこに集まってる人たちっ
て、実はお互いの書いた批評すらまじめに読んでないんじゃない? いや、みんな同じようなことを考えてはいるんだよ、たとえば、ニコニコ動画の「生成力」とか。なんか知らないところから、ぽんとクリエイティブなものが、作家性もなく登場してくる、っていう状況ね。でもみんな自分の用語作ってて、おたがいに参照していないという。だから、ニコニコ動画とか、そういうところから「生成力」で作品が出てくるのとまったく相似形で、すぐれた批評の作品も、批評の場・集団から「生成力」によって意図せず生まれてくる状況なんじゃないかと思うんだよ。作家がいないのに生まれるクリエイティビティ、みたいのをみんな分析したいと思ってるんだけど、その批評家達自身が、その分析対象に似てきちゃうと。それで偶然「生成力」によって生まれたものが、みんなに良さげだなと思われて、勝ち残っていくんだよ。だからそういう、「生成力」によって批評が生まれてくる土壌みたいのが今、できあがりつつあるんじゃないかな。

渡 でも「生成力」とはいっても、そのゼロアカ道場には東浩紀なり、講談社の編集者なり、っていう統制者がいるわけじゃない。だから結局、そういう権力者の庇護下で「生成力」とか言っても、それは批評としてどうなの、ということはある。

井 仮に「ゼロアカの生成力」みたいのが今後生まれていくとして、でもその場合、そこで活動してる批評家志望者たちの能力とか個性とかは、それ自体では重視されてない、ってことだよね。統制者と、ゼロアカ道場っていう「アーキテクチャ」だけがあって、批評家個人はいないと。

塚 そう。だから、たまたま、東さんと、あとみんなの気持ちに合致する言葉を生み出せた人がゼロアカ道場の勝者になるのかな、って気がしてる。そこで生み出されたものはたしかにおもしろいんだけどさ、でも問題がないとは言えないよね。

前 でもそれだと、負けた人もたまたま、言葉が出てこなかったから負けた、って事になるよね。ゼロアカ道場の場合、負けた人はどうなるの。

塚 いや、普通に飲み会に参加したりしてる。まあ負けても逆に有名になっちゃう人もいるからね、藤田さんとか(笑)。藤田さんはブログとか、文章での活動を見るとマジメにやっているところもあって面白い。だけどやっぱり動画サイトを通して見るとこいつらやべえな、大丈夫なのって思うことはあるだろうね。だから、そういうときはゼロアカ道場とは別のところでやってけばいいんじゃないの。別の批評を。……あ、だから、そういうことだよ。俺たちが、筑波批評と東大批評が、ゼロアカを超える批評を……

井 でもゼロアカ参加しちゃったじゃん!

塚 アッー(笑)

シ いや、だからそれは……スパイだよ、スパイ(笑)

井 でも、そもそもどういう経緯で文フリのゼロアカ道場第四回関門の「道場破り」に参加したの?

シ いや、単に道場破りが発表されて、こっちから「道場破りがあるんだってね」って話をしたら、塚田とかが、やろうよやろうよって言ってきて、そういう話になったんだよ。

塚 いや、その「道場破り」の話はメールのやりとりで出た話だから、文面からはシノハラがどんだけやる気なのかはわかんなかったのね。でもまあその当時すでに、秋の文学フリマに出店することが決まってて、そのためになんかやろう、って話だったから、シノハラから「ゼロアカの道場破りできるよ」っていう話を聞いたときに、「ああ、こいつやる気なんだな」って思うわけだ。だからこっちも、それに応えて「やろう!」って返信したんだよ。……でも実際ふたを開けてみたら、シノハラは実は、そんなにやる気じゃなかった、っていう……

一同 (笑)

シ 俺が心配してたのは、同人誌五百部刷る、って言うけど、文学フリマで五百部も売れるわけないじゃん、って思ってたからなんだよ。文学フリマ当日まで、五百部も売れんのかって不安だったもん。

井 でも実際ふたを開けてみると、四百数十部は売れたわけだよね。

珠 そういう売り上げの不安もあったけど、どのみち文学フリマに出るんだから、やってもいいじゃん、っていう話にはなった。ゼロアカには藤田さんみたいなおもしろい人たちもいるわけだし、そういう人たちと交流することは、筑波批評社にとっても必ずプラスになるからって。それに「ゼロアカ道場にちゃんとした同人誌を出さなきゃいけない」っていうプレッシャーがあったほうが、普通に同人誌を作るよりまともなものが出来上がるだろうし。だからあくまでも自分達のレベルアップのための参加だったのかもしれない。

井 じゃあ、関門を通過するのはあまり考えてなかったの?

塚 いや、もちろん通過したかったよ。……まあ結果的には通過できなかったわけだから、力不足だったのはしょうがないね。ほかの関門参加者の同人誌見てみたけど、やっぱりすごいもん。DTP にしても、彼らはたぶん、上手い人を集めてるんだよね。そういう外部からいろんな技能をもった人を集められる能力、ってのもこっちは足りなかったし、やっぱり書いてる、選んでる内容も含めて順当なところから売れてったような気がする。まあ、いくつか、「これ面白くないんじゃね?」って冊子はあったけどさ。

前 そういえばさっき、交流を増やすことが筑波批評社のプラスになる、って話があったけど、実際にやってみて、どう? たとえば今までの同人誌と比べて、反響が大きかったとか、そういうことはある?

シ 読者からの反響っていっても、いままでに出した同人誌で、ブログでの反響が二、三件だったのが、今回のゼロアカ道場参加で五件くらいに増えた、っていう程度の話だよ。

珠 同じ「道場破り」組でも、坂上さんたちのほうが反響は大きかったのかも。だから、読者からの反響というよりはむしろ、批評家の卵たち同士の交流、っていう側面が強かったんだと思う。

塚 もちろん、書き手同士で相手の書いた批評を読みあって、読者としてコメントしあう、っていうことは不可能じゃないけど。でもやっぱりあいつら、というか俺ら、お互いの書いたものすらまともに読んでないだろうからなあ。やっぱりこれって問題だよね。批評家の卵たちが、お互いの書いたものを読まないし言及しない、ってのは。だから飲み会では大いに「交流」してるんだけど、批評的に影響を与えあったりっていう「交流」はあんまりない。まあ、お互いに素人だから、ってことなんだろうけどさ。

井 つまり、飲み会という「交流」でエネルギーを補給した後は、脇目もふらず他人の批評も気にせず、ひたすら東浩紀に認められるためだけにがんばる、と。

塚 その意味では、「はてなダイアリー」のほうが健全だよね。みんなでトラックバックしあったりして、読みあったり言及しあったりしてるわけだし、それに東浩紀を頂点とする階層性もないし。

前 その、同じ書き手に読んでもらえない、ってのも痛いけど、作家に読んでもらえない、ってのも痛いよね。作家と批評家の共犯関係みたいのが生まれないと、批評家の意義ってないじゃない。柄谷と中上とか。まあそういう現状がないんだけど。

塚 なるほどね、自分の批評を読んでくれるし、なおかつ書いてる作品が自分にとって批評したくなるような作品である作家を捜せばいいんだ。

井 じゃあ読者は実はどうでも良くって、作家と批評家との個人的なコミュニケーションが重要だってこと? でも個人的は、一対一のコミュニケーションだけじゃなくて、次世代の作家とか、もしくは編集者とかにも届く、ってのを、むしろ広義の「批評を作家に読んでもらう」においては重視した方がいいような気がする。

塚 でも作家を捜そう、っていっても、そう身近にはいないよね。だからみんな、むしろ「作家性」みたいのが見えにくいニコニコ動画とかを分析したがるんじゃないかなあ。

(5/10文学フリマで頒布予定、『東大批評』へ続く)