戦場を作り出せ!

藤田ーざもすきペアのブログ(id:fujita_xamoschi)にアップされた東浩紀氏のインタビュー動画を見ました。やはり動画の力というのはすごい。生身の人間の発する、言葉の迫力というのが伝わってきます。そしてそれを個人の力で伝えられるようにしたインフラの力といったらもう。改めて言うことでもないですが、こうして見せられると実感が沸きますね。

……と、門下生の方のブログを褒めてばかりいても仕方ないので、本題。
肝心のインタビューの中身なんですが、東氏が言ってることは実にシンプル。

「批評にもはや戦場は無い。自分たちで戦場を作り出せ。」

確かに、既存の言論の場所――出版を中心としたメディア――を支配しているのはせいぜい政治批評や社会批評。文芸批評をはじめとしてその他の批評なるものの戦場はどんどんなくなっている。文学だとかそうした領域で物を言いたいやつは、まず戦場を自分で見つけろ、作り出せと。もはや既存の戦場で既存の戦い方をすればいい時代は終わったと。
結局そこで求められるのは、自分たちが戦う場所=個別性を確保できるような視点=全体性。あの動画で東氏が全体性と言ってるのは、単に全体を俯瞰できるような視点ではなく、そこから自分たちの戦うべきフィールド、個別性を見つけられるような全体性なのでしょう。僕らは重厚な歩兵部隊の一員にはなれない。自分で戦場を見つけられるスナイパーのようなものになれ、と。

ただ現実的なことを考えると、いくら腕が良かろうと単機で規律だった軍隊相手に戦うのは非常に難しい。東氏はそこらへんのところで「どうすりゃいいのよじゃあ」と半ば自問的にカメラの向こうに問いかけているわけですが、やっぱり点が点だけで戦おうとすると厳しい。東氏は、自分くらいしかスナイパーいないじゃん、と言っている。

とすれば。点を集めて面にするしかない。優秀な単機を数そろえるしかないわけです。

筑波批評社も代表者二名が決まり、企画が進行しだしています。僕らとしては、こうした腕の聞くスナイパー=言葉を誰に何のために届けるのか、それにはどこでどう戦えば良いのか、そうしたことに自覚的な人々の「言葉」を載せていきます。同人誌を作るということの意義は、そういう風に点を面にすることにあります。点が点のままで良いならば、1人でブログ書いてればいいわけですから。