ゼロ年代の想像力×日本映画
気鋭の批評家が描く、現代日本映画史の最新版!
今日は、「アダルトヴィデオ的想像力をめぐる覚書――ゼロ年代的映画史講義・体験版」を紹介したいと思います。
著者である渡邉大輔さんは、『波状言論』にセカイ系論を投稿してデビュー。最近では、探偵小説のクリティカル・ターンやユリイカ2008年7月号 特集=スピルバーグ 映画の冒険はつづく、ユリイカ2008年10月号 特集=中上健次 21世紀の小説のためににて、次々と刺激的な論考を展開しています。
今回は、専門である映画というフィールドにおいて、「ゼロ年代の想像力」の見取り図を描いてもらいました。そこには、日本映画のゼロ年代があまりにも語られてこなかったことに対する、著者の強い危機意識が見られます。それは映画批評においてもそうであるし、あるいは東浩紀を中心とするようなサブカル批評においてもです。
本論ではタイトルにもあるとおり、「アダルトヴィデオ的想像力」を巡ってゼロ年代の映画史が展開されていきます。例えば、『リンダリンダリンダ』『天然コケッコー』の山下敦弘や『童貞。をプロデュース』の松江哲明といった、近年注目を集めている監督たちの中にあるアダルトヴィデオからの影響を見いだしていくような作業です。
しかしそれは、かつてのにっかつロマンポルノから立教ヌーヴェル・バーグ系へといった現象の反復ではない、と筆者は主張します。
それはいうなれば、想像力の環境の変遷を意味しているのであって、映画の中の話なのではなく、いわゆるゼロ年代的批評の問題意識とも通底し合っているのだということです。
逆に言えば、「ゼロ年代の想像力」を語るにあたって、「アダルトヴィデオ的想像力」と映画の関係を無視することは出来ないということであり、来るべき2010年代の想像力を考えていきたいと思っている人たちにとって、決して見逃してはいけない論考となっているはずです。
もし本質的な意味で「ゼロ年代の想像力」を乗り越えるのであれば、私たちはこうした不可視の文化的沃野の内実にも鋭敏であるべきだろう。
そして付け加えるならば、本論で並べられている固有名の雑多さもまた、この論考を魅惑的なものとしているはずです。そこには、今までにはなかった文脈・布置が作り上げられつつあるという感触がきっとあるはずです。麻美ゆまとアンドレ・バザンの名前が同じ平面の中に並んでいる、そのようなテクストを読みたい方も是非手にとってみてください。